健康経営セミナー

 19日(日)は恒例の経営セミナー。乱せの処世術を中心に、如何に
健康的に在るべきか、という内容で纏めた。
 三大聖人(孔子・釈迦・キリスト)が生きた時代も乱世といわれている
ように、歴史は常に乱世であり波乱興亡の繰り返し。現代社会も経済
戦争・政治戦争というように乱世であり、国内においても都議選が物語
るように、権力闘争を根底にした政治戦争の真っ最中。何時の時代も
被害者は大衆というか国民。乱世の時代はタレント政治家等といった曲
学阿世、即ち学をねじ曲げ世に阿(おも)ねる小人が活躍するものであり、
目立ってはいけない、好んで重責を担うべきではない、というのが歴史か
らの教訓。世の中を見渡すと小人がこぞって手を挙げ、自己をアピールし
ており、末期症状の様相を体してきている。
 一国の政治はリーダーに委ねられるものであり、軽薄短小の人物が担え
ばそれなりの政治が行われ、有力な人物が担えば相応しい政治が行われ
る。日替わりで首相が入れ替わる自民党政治を眺めれば、分かるのでは
なかろうか。人気があるから首相にするというのも間違いで、あくまでも人物
で判断しなければならない。人気で選ぶから政治体制(政体)が歪み、歪
みが増幅して政権維持も難しくなる。既に自民党は人物が枯渇している、
というのが真相のような気がする。
 これは経営にも当てはまる問題で、如何なる人物が経営を担うのかで経
営の未来像が決まってくる。

善無畏
 

 

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照顧脚下

 社会は道徳を根底にして成り立っており、不道徳者が報われるほ
ど甘くはない。道徳はその人の心の世界を表現するものだが、道徳
が習慣化しそれが日常生活に形になって現れてくる。日常生活はそ
の人の道徳性を表現するものであり、道徳を身に付けている人は道
徳に沿った生活を表現し、不道徳者は不道徳の日常生活を表現す
ることになる。
 孔子は、人間は無から産まれてくるが、躾の有無によって人性の所
得が違ってくる、と言い残し、如何に躾が人性大きな影響をおよぼす
ことを説いている。身を美しく表現するのが躾(身+美)で、躾のおお
くは家庭教育によって身に付ける学問。子供は両親の言うとおりには
育たず、親の為していることを真似て育ってくる。両親祖父母が不道
徳な生活をしていると、子供はそれを見習って巣立ってくることを教える
のが習うで、習は羽根と胴体の会意文字。雛が巣の中で親鳥の飛ぶ
姿を見て、羽ばたこうと一生懸命学習している訓練している、というの
が習うの意。子供見れば親が分かる、と言われる所以もここにあり、
躾の多くは両親祖父母を見習って身に付ける。
 外面的に綺麗にすることを心掛けると、精神・清心・誠心が養われ、
人間としての心が育てられる、といわれている。禅寺に照顧脚下という
立て札が置かれている場合がおおいが、履き物を揃えよ、という教え。
履き物を揃えると心が揃うといわれる。履き物を揃えることを子供に教
えるだけでも、子供の運命は変わってくる。教育の教は、お手本という
のが本来の意であり、先ずは両親祖父母がお手本として履き物を揃
えることが求められる、ということが教育の意。

善無畏

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現代社会の疲弊

 評価主義を根底にするグルーバル・スタンダードは、飽くなき利
を追い求めて勝者のみを奉り、お金と物だけで人の存在価値を
判断する。必然的に勝者と敗者の二極化を促し、一方において
道徳は廃れ治安は悪化し、世相・国相は乱れにみだれ、暮らす
我々の生活を精神的に非常に疲労させるものがある。精神の供
養になるのが人間学で、人間学は滋養強壮剤!
 吾十五にして志学を志し・・・という論語は、孔子が亡くなられた
後に、孔子と弟子達の問答集を纏めたもの。論語は人性・経営
のあらゆる問題に精通し、最も古くて新しい書といわれる。孔子が
いきた時代は、民族が相争い、社会の治安が非常に乱れていた
時代といわれている。現代社会も国家間の経済戦争・資源の争
奪・世界的な企業売買のM&A等々、非常に似通っている。こ
の当時活躍したのが曲学阿世。学問をねじ曲げ世に阿(おも)ね
る輩を曲学阿世といい、現代風に言い直せば【経済・評論・政治
タレント等々】をいい、口では偉そうな事を言いながら、実態は全
く正反対の人々をいう。そういった視点で政治を眺めて頂きたい。
全く似通ったタレント風政治家が政治に君臨しており、政体(政
治体制)が崩壊しているといわれる所以もここにある。政体が歪め
ば日本の未来像も歪む。一見、繁栄を謳歌しているように見える
日本だが、没落に向かって突き進んでいるというのが実態。志士仁
人の人財というか、願うならば国士無双の政治家の出現が待たれ
る。

善無畏

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整理整頓

 (株)イエローハットの創業者・鍵山秀三郎先生(現在は相談役)は、トイ
レ掃除をとおして世相の乱れた世直しに取り組んでいる。トイレ掃除をすると
心が養われる。心が養われれば心身が養われ、結果的に人性も養われる。
長年にわたる生業から、お客さんから様々な事を教えられ、院内やトイレが汚
れている医院は、隆盛であっても何年後かには衰退に見舞われている。逆に
衰退であっても掃除や整理整頓を心掛ける医院は、不思議なことに復活再
生してくる。言えることは整理整頓は人性観や経営観を表現するものであり、
人性観や経営観が汚れていれば必然的に人性も経営も歪み、それが結果
に現れてくる、ということを多くのお客さんから教えられた。
 人間は常に欲望(善欲悪欲あり)を貪って生きていく。我欲強欲は人性を
汚すというか歪ませる。歪ませないようにするのが反省で、反省は欲望を整理
整頓してくれる。反省は省みて省くことが大切で、省みるだけでは中途半端で、
いたらないこと、いけないことを省くことで、心が整理され整頓されてくる。即ち
心が中和される。成長したいとか進化したいという欲望を抱くのであれば、そ
れに見合った反省が必要となる。そうしないと成長したいという欲望によって、心
が酸化し酸性化してくる。心身が酸性化すると病を招くように、そのまま突き進
むと症状が重くなり酸敗となる。酸敗とはいたむ・やぶれるという意で、敗れれば
人性は破滅であり、経営においては破綻となる。
 身の回りの整理整頓および反省は、心を常に健康の根源となる弱アルカリ
性に保つ効用がある。

善無畏
 

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平成の意義

 社会はますます混迷の度を深め、未来像に希望を持てなくなっている人々
が年毎に増えている。家の支柱が歪むと家が傾き、又、家族の柱(?)が歪
むと家庭生活が歪むように、混迷社会の根本的要因は、政治体制(政体)
が歪み、政体が崩壊していることにある。そのような政治家を選んだのは国民
であり、結果責任は負わなければならない、ということを教えるのが混迷社会。
 社会生活の混迷が深まり【混沌】社会と言われて久しいが、混沌とは、新し
い生命エネルギーが誕生しようと蠢いているが、まだまだ目には見えない状態
をいう。卵の中にいる雛のような存在で、やがて殻を破って産まれてくると雛と
確認できるようになる。賭博経済を根底にする資本主義が崩壊し、新たな社
会的価値観を誕生させるために社会が混沌としている、産みの苦しみのために
難儀苦労している、という見方が真といえる。経済の意味を広義に捉えるなら
ば社会貢献の一言に尽き、個々の利益を貪るために経済が存在する、という
のは経済といわず悪徳経済という。悪徳経済が社会を不安に陥れ、治安を悪
化させ、怪奇殺傷・尊属殺人を引き起こしている。要は経済に道徳を見失った
ことが混乱社会の根本的要因。
 平成という年号は、故事の【内なりて、そと平になる】から取り入れられ、相応
の意義があり願いが込められている。内とは【心】を言い表し、心を修めることで、
外(人性・家庭・経営・社会)に平和がもたらされる、という意。国家経営の中
枢は政治で、それぞれの政治家が心を修めないかぎり、社会に平和はもたらさ
れない、という警告。経営者にも一家の柱にも、心を修めることが求められる
、というのが平成の意義であり願い。

善無畏

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自責と他責の人性観

【政治の堕落・利己主義の横行・生活破綻者・精神的病の激増・
非人間的な犯罪・教育の堕落】等々・・・現代人は繁栄の中に没
落の不安を感じている。何が正しいのかという人の道を置き忘れ、何
が利益なのかという視点で物事を判断する人が非常に多くなっている。
これでは社会も病む。
 又、組織化社会に安座して人間性を見失い、組織に埋没して自
己を見失っている、というのが実態。組織が全てという人性観は、組
織の没落とともに自分も没落し、結果的に自分を見失ってしまう。人
性は自分で開拓し切り開いていくものであり、他に依存していると発
展はおろか没落してしまう。
 失敗無き人性はありえない。失敗する毎に人は賢くなっていく。失敗
を省みて自らの責任と思う時には、【悔いる】。悔いるとは道徳的な心
理。弱者や利己主義者も悔いるが、悔いに耐えかねず、他に責任を
転嫁し自己を正当化する。あるいは他を責める。これを【怨み】という。
これは不徳な心理であり、非人間的な心理。
 波乱というか混乱社会は、非人間的な方々を多く輩出する可能性
を秘める。もっともっと治安が悪化することも否定できない。このような
世の中を滋養し治めるのが政治なのだが・・・

善無畏

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青い鳥

 釈迦は、生あるものはは何時か滅する、諸行は無常であると説かれ
たが、人間も何時かは滅するという事実は免れない。死に向かって生き
ているのが真相だが、だからこそ生きている今が限りなく素晴らしく、生き
ている今を尊び感謝しなければならない。人間と禽獣の境目は【感謝心】
を抱くのか、抱かないのかにある。釈迦はまた、他との関連無くしていきら
れない、ということを説いている。自分一人で生きているというのはおおい
なる錯覚で、両親先祖や身の回りからの恩恵があってこそ生きれるもの
であり、その恩恵にも感謝しなければいけない、という意。経営者も感謝
心を無くした経営も立ちゆかなくなる、ということを常に肝に命じておかなけ
ればならない。 
 自分のやりたい仕事が見つからない、という理由だけで多くの若者が
仕事場を離れている。青い鳥はこの世に存在するのであろうか?著名な
一休禅師(京都・大徳寺)は、仏の道をいろいろ修行し仏様(青い鳥)
を見つけようとしたが見つからなかった。気がついたら自分の心の中に仏様
があった、と述べ、青い鳥は苦労苦難の先にあるものであり、安易に見つ
かるものではないと語っている。自分のやりたい仕事が見つからないのでは
なく、苦労することを単に嫌がっているだけでは見つからない。辛いという文
字は【労働】という意であり、働くことは辛いこと、辛いなかで自分を磨いて
いく。そうすることで己が成長していく、ということを教える文字が新。新は
【辛+木+斧】の会意文字。原木を斧で加工(労働)することで、全く違
った木に変身し世の中に役立つようになる。人間も砥石でゴシゴシしごかれ
なければ、世の中に役立つ様な人間には成長しない、ということを新という
文字が教えている。

善無畏

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知性と徳性

 子が親を殺し、孫が祖父母を殺戮するというのは尋常なことではない。
積善の家には子々孫々に余りある慶びがもたらされ、不善の家には子々
孫々に災禍がもたらされる、といわれるように、長い年月の鬱積が事件の
引き金を引いたといっても過言ではない。如何に子育てが大切なのかを
両親祖父母は肝に命じる必要がある。 
 家庭の集合体が社会。家庭教育を怠れば、おのずと社会もおかしくな
り世相もみだれる。今日、世相は乱れにみだれているが、根本的要因は
家庭教育が疎かにされていることにある。知性(IQ)を養うことには熱心だ
が、徳性(EQ)を養うことを疎かにするとどうなるのか。既に人類が立証し
ている。孔子は【人間は無で誕生してくるが、躾によって人性の所得が違
ってくる】と・・・躾が人性の所得(動産資産や地位)に大きな影響を与え
ると言い残している。躾の多くは何が正しいのかという、道徳を教えることに
ある。
 道徳はその人の心の世界を表現し、それが日常生活に形になって現れ
る。日常生活や行動が不自然ということは、道徳性の無さを表現する。そ
れは両親によってそのように育てられた、という見方ができる。整理整頓や
清掃も道徳の表現となり、外面的に綺麗にすることを心掛けると、精神・
誠心・清心が養われ、人間としての心が育てられる。報われる人性であり
たいと願うならば、先ずは整理整頓を心掛けなければならない。奇抜や乱
れた服装は論外ということになる。

善無畏

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健康人性・経営

 日々健康的に命を改めていくことを【正命】といい、人間の心身に
例えれば身体機能のバランスが正常に機能している常態、即ち60
兆個の細胞の消滅と誕生の調和が取れている常態を言い表す。
経営においては経営環境や事業内容を日々改新・更新していくこ
とをいい、又、収入(入り口)と支払い(出口)の調和が為されてい
る常態をいう。この常態が守られないと【未病(病気ではないが、健
康でもない常態)】に突き進んでいく。未病の特徴は、病気が表面
化していないが故に症状を自分で自覚できないというか把握できな
い。不規則な生活や乱れた食生活、経営においては順境経営であ
っても経営者の傲慢や過信等は未病に含まれる。未病の時に懸命
に治癒回復に取り組めば、安易に健康を取り戻せる。
 残念ながら症状が表面化していないだけに慢心に浸り、病へと流れ
ていく。そうなると外科手術で命の健康を取り戻さなければならない。
これを【革命(維新)】という。歴史が教えているように、革命というもの
は大量の出血を伴い塗炭の苦しみを強いられる。リストラや事業部
門の売却等は革命に等しい。革命に失敗すると破綻であり倒産とな
る。日本は未病を通り過ぎて病に陥っている、というのが実態であろう
。ということは近い将来外科手術が待ち受ける、というのが常識的な
受け止め方となる。
 上述しているを鑑みると、健康や未病に対応できる医者・経営者・
政治家こそが国の宝といえるが、どうも昨今は算術医。利己主義の
経営者や政治家が跋扈しており、憂慮すべき時代。

善無畏

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平成の願い

 平成という年号は、昭和の大教育家といわれるた安岡正篤翁が
考案した年号といわれている。書経の【地平らかに、天成り】という文
言を参考にしたといわれ、社会(政治・経済・教育)が平和でありま
すようにという願いが込められている。残念ながら政治は政治の体を
なさず政体(政治体制)が崩壊し、根幹が空洞化している。根幹の
幹は正すという意で、根幹が歪んでいるから経済も教育も歪む。経
営の根幹が空洞化すると破綻は免れないし、家庭の根幹(両親祖
父母)が揺らげば子供の家庭教育は崩壊する。様々な団体や会合
で幹事職というものがあるいが、幹事は物事を正す人でなければなら
ない。
 人間には長所もあり短所もあるが、表裏一体の関係でもある。長
所が短所であり、短所が長所ということもある。如何に短所を長所に
するか、あるいは長所を短所にさせないか、ということが肝要で、自己
を養うというか修養する意義もここにある。国民を教育し正しく導いて
いくのが政治。という観点で捉えれば、政治家は常々国民のお手本
となる言動でなければならない。その政治家が堕落すれば、経済人
も国民もお手本として堕落する。今日の疲弊した社会の根本的要
因は政治にあるといっても過言ではないが、そのような政治家を選挙
で選択したのは国民。政治家を批判する以前に、国民が自己批判
すれば、社会に平和がもたらされてくる。

善無畏

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